佐原 誠(さはら まこと:サハラ事務所)
京都府宇治市生まれ。デジタル・フィジカルの垣根はなく、話をお聞きしてから、道を指し示したり一緒に歩ませていただくことが多いです。ランニング(マラソン・トレイル)は健康維持が主目的になりつつあります。
Makoto Sahara (Sahara Office)
Born in Uji City, Kyoto Prefecture. I work mainly in the field of public relations, both digital and physical, and after hearing your story, I often point out the way or walk with you. Running (such as marathons and trail running) is increasingly becoming focused on maintaining health.
「やわらかく捉え、考え、動く」ということを普段から意識しておく。コレ以上具体化すると「やわらかく無い」のでやらない。
まとまりなく頭に過ぎったことをSNSで吐き出すだけでなく、文章として思いを綴る体験が心地良いこともあって、ブログ(note)を用いる機会が増えてきました。
「何やってる人?」と言われることはあります。
多様な領域に関わって、その手段も様々であることから「何やってる人?」と言われることがあります。やっているボリュームで判断すると「裏側」での仕事が多く、何事も露わにしておらず、そんなイメージになっているんだと思っています。
具体的に噛み砕くと、ヒアリングからの企画立案・運用支援、新規事業のコンセプトワークなどの領域を軸に、販促ツールとしてのグラフィックデザイン、パッケージデザイン、ウェブデザインを行い、展示・設営など、裏方として目的達成に助力します。
代表 /
綿糸でつくる手織りの椅子敷きの制作・販売
常任理事 /
メキシコとブラジルを軸としてラテンアメリカ諸国と京都との文化的な関わりを支援
かれこれ10年以上ほど、ウェブサービスを提供している
それと最近は流れでこんなことも...
Web3関連事業
コンテンツ関連事業
金工、音楽、教育、スポーツ、農業、飲食、織物、額縁、徽章、歯科技工、染み抜き、地域(商店街)など
京都市内を主な活動拠点としている。
町内会の「相談役」の委嘱を受ける。(2024年 − )
赤穂ギャベの「代表」の委嘱を受ける。(2019年 − )
京都ラテンアメリカ文化協会の「常任理事」の委嘱を受ける。(2018年 − )
右京消防団太秦分団に所属(2012 − 、班長 2018年、部長 2019年 − )
御祭・御神輿
木嶋神社 (2012年10月 − 、神輿委員 2024年9月 −)
北野天満宮 (2018年10月 −)
八坂神社 (2009年7月 − ) などの御奉仕をしています。
京都市右京区太秦に転居(2011年12月)
町内会「会長」(2020年 − 2024年)
町内会「会計」(2017 − 2019年)
町内会「少年補導員」(2016 − 2017年)
町内会「組長」(2014年, 2021年)
御神輿(下御霊神社、白山神社など)
相談を受ける頻度が少し多かったように思う。コロナ禍の反動かも知れない。感謝! と同時に、年齢の影響もあるかと思うが、健康維持に充てる割合を増やそうかと思い始めたところ。
コロナ禍が過ぎた... 思い返すとこの4年間は冬眠(というかビバーク)のように夢でも見ていたのかと思えるぐらい生活が一変し、突然、目が醒めるように日常が戻った感覚もある。この年、新しい事業を友人と共に興したんだが、まだまだよちよち歩きだ。
四十不惑、五十知命とか言われている。確かに二十代、三十代と比べると見ている視座が異なる気がするし、若い時は背伸びすることもあったけど、最近はそんなことあまり気にならなくなっている。むしろいい状態なのかも知れない。
宇治にある寺院のサポートにちょっとだけ関わることになったが、翌年には距離が遠のいた。生まれて育った街に関わるのはありがたい。この歳にしてぼちぼち増えてきた感じ。
コロナ禍、「京都テイクアウトマップ」とか「Dabel(ダベル)マニュアル」とか衝動でいろいろ動いた。流れで、Dabelのオフィシャルnoteもサポートしていた。
赤穂緞通で培われた技術に柔軟な発想を取り入れて、綿糸でつくる手織りの椅子敷き「赤穂ギャベ」 の事業を引き継ぐ形で「代表」として委嘱を受ける。
京都でも指折りのパン屋さん「ル・プチメック」が運営されているウェブサイトの「コラム」にて月イチ寄稿。(寄稿終了し、noteに転載)
同年、京都ラテンアメリカ文化協会の「常任理事」として委嘱を受ける。
2017年(46歳)
「Hermanas Project」によるスピンオフ事業として日本テキーラ協会主催「オンラインテキーラ検定(入門講座)」をサポート(現在は休眠)。
2015年(44歳)
2011年から日本国内にて開催しているCRTテキーラアワードの運営組織を「CRTセミナー日本事務局」として再始動(現在は休眠)。
2014年(43歳)
「サハラ事務所」を開所して、企業(店舗・個人事業含む)の広報活動を支援。
2011年(40歳)
ホームページの情報の陳腐化を防ぎ、運用更新の手間を軽減する仕組みとして「SUGUWEB」を立ち上げ、その運営を開始。
同年、広報を主な領域とした新規法人の立ち上げに参画(現在は脱退)。
2010年(39歳)
クライアントが運営しているギャラリーの展示企画の支援を開始。
同年、京都市とメキシコ・グアダラハラ市が姉妹都市30周年として行われた企画を手伝い、今の「Hermanas Project」の基盤が作られる(現在は休眠)。
2007年(36歳)
ウェブサイトのコンテンツづくりとして、ギャラリーの出品作家のインタビュー記事を制作、読み物として価値は大切と実感。
2005年(34歳)
京都市内の地図を基盤としたフリーペーパーの運営スタッフとして、様々な店舗と京都の街との接点が生まれる。紙とウェブ、独自開発されたブログを提供し店舗に自ら情報発信してもらう仕組みを提供、慣れない作業による不精と相手の見えないインターネットへの投稿は時期尚早であった(現在は脱退)。
...その少し前になるけれど、京都のアパレルブランドから依頼を受け、定期的にインテリアデザインの仕事をしていた。京都、東京、大阪だけでなく、香港の物件も携わる。
1995年(24歳)
その春からおよそ10年間、作品の制作活動を行う。当時、作品を買っていただくこともあったし、イギリスのChristie's(アートオークション)への出品も経験(現在は休眠)。
当時の生計は美術予備校、専門学校の講師、飲食店のスタッフ、駐車場のオペレーター、日雇い解体業など...
1991年(20歳)
空間構成が比較的得意だったというだけで京都精華大学美術学部にて立体造形を学ぶ(現:京都精華大学芸術学部造形学科立体造形専攻)。
1990年(19歳)
一浪してからなんとなく美術大学に行きたいと思い、美術予備校に入ると真剣に鉛筆でデッサンしている人たちの熱と画力に圧倒される。
1971年(0歳)
京都府宇治市に生まれる。高校卒業するまではのんびりと何の目標も持たないままお気楽に過ごしている。
過去の海外経験をちょっとふりかえる。もう20年以上飛行機に乗っていない♪
どっか行きたいー。(誰かww)
2003年(32歳) 香港、アメリカ(NYC・UTAH州)
2002年(31歳) 香港、韓国
2001年(30歳) ハンガリー、オーストリア、ドイツ
2000年(29歳) 韓国
1999年(28歳) ドイツ、フランス(Parisのみ)
1998年(27歳) ドイツ、スイス
1996年(25歳) メキシコ、グアテマラ
(その他、トランジットだと、シンガポール、マレーシアぐらいかな?)