佐原 誠

2024年1月更新

2023年のふりかえり

余談:海外では履歴書のことを「CV(Curriculum Vitae)」と呼ぶ。語源はラテン語らしいが...

佐原 誠(さはら まこと:サハラ事務所)

京都府宇治市生まれ。デジタル・フィジカルの垣根はなく、話をお聞きしてから、道を指し示したり一緒に歩ませていただくことが多いです。ランニング(マラソン・トレイル)はボチボチ再開しようかと思っています。

Makoto Sahara (Sahara Office)

Born in Uji City, Kyoto Prefecture. I work mainly in the field of public relations, both digital and physical, and after hearing your story, I often point out the way or walk with you. I'm thinking of restarting running (marathon and trail).

佐原誠への連絡先

「やわらかく捉え、考え、動く」ということを普段から意識しておく。コレ以上具体化すると「やわらかく無い」のでやらない。

まとまりなく頭に過ぎったことをSNSで吐き出すだけでなく、文章として思いを綴る体験が心地良いこともあって、ブログ(note)を用いる機会が増えてきました。

ざくっと説明すると

何やってる人?」と言われることはあります。

多様な領域に関わって、その手段も様々であることから「何やってる人?」と言われることがあります。やっているボリュームで判断すると「裏側」での仕事が多く、何事も露わにしておらず、そんなイメージになっているんだと思っています。

具体的に噛み砕くと、ヒアリングからの企画立案・運用支援、新規事業のコンセプトワークなどの領域を軸に、稀に販促ツールとしてのグラフィックデザイン、パッケージデザイン、ウェブデザインを行い、展示・設営など、裏方として目的達成に助力することが多いです。加えて、自らのサービスやプロジェクトも運営しています。

関わっている主なカテゴリー

金工、織物飲食、音楽、スポーツ、農業額縁義歯しみぬき徽章、地域(商店街、文化)

深く関わっていること

綿糸でつくる手織りの椅子敷きの制作・販売を軸にして、「織る」という行為自体も大切にしている。

定額料金で利用できるホームページ構築・運用サービス。

メキシコとブラジルを軸としてラテンアメリカ諸国と京都との文化的な関わりを支援。

いまでもやってること


これまでやってきたこと

2023年(52歳)

コロナ禍が過ぎた... 思い返すとこの4年間は冬眠(というかビバーク)のように夢でも見ていたのかと思えるぐらい生活が一変し、突然、目が醒めるように日常が戻った感覚もある。この年、新しい事業を友人と共に興したんだが、まだまだよちよち歩きだ。



2022年(51歳)

四十不惑、五十知命とか言われている。確かに二十代、三十代と比べると見ている視座が異なる気がするし、若い時は背伸びすることもあったけど、最近はそんなことあまり気にならなくなっている。むしろいい状態なのかも知れないw


2021年(50歳)

宇治にある寺院のサポートにちょっとだけ関わることになったが、2022年は積極的な関わりではなかった。生まれて育ったに関わるのはありがたい。この歳にしてぼちぼち増えてきた感じ。


2020年(49歳)

コロナ禍、京都テイクアウトマップ」とか「Dabel(ダベル)マニュアル」とか衝動でいろいろ動いた。流れで、Dabelのオフィシャルnoteもサポートしていた。


2019年(48歳)

赤穂緞通で培われた技術に柔軟な発想を取り入れて、綿糸でつくる手織りの椅子敷き「赤穂ギャベ」 の事業を引き継ぐ形で「代表」として委嘱を受ける。


2018年(47歳)

京都でも指折りのパン屋さん「ル・プチメック」が運営されているウェブサイトの「コラム」にて月イチ寄稿。(寄稿終了し、noteに転載)

同年、京都ラテンアメリカ文化協会の「常任理事」として委嘱を受ける。


2017年(46歳)

Hermanas Project」によるスピンオフ事業として日本テキーラ協会主催「オンラインテキーラ検定(入門講座)」をサポート(現在は休眠)


2015年(44歳)

2011年から日本国内にて開催しているCRTテキーラアワードの運営組織を「CRTセミナー日本事務局」として再始動(現在は休眠)


2014年(43歳)

「サハラ事務所」を開所して、企業(店舗・個人事業含む)の広報活動を支援。


2011年(40歳)

ホームページの情報の陳腐化を防ぎ、運用更新の手間を軽減する仕組みとして「SUGUWEB」を立ち上げ、その運営を開始。

同年、広報を主な領域とした新規法人の立ち上げに参画(現在は脱退)。


2010年(39歳)

クライアントが運営しているギャラリーの展示企画の支援を開始。

同年、京都市とメキシコ・グアダラハラ市が姉妹都市30周年として行われた企画を手伝い、今の「Hermanas Project」の基盤が作られる(現在は休眠)


2007年(36歳)

ウェブサイトのコンテンツづくりとして、ギャラリーの出品作家のインタビュー記事を制作、読み物として価値は大切と実感。


2005年(34歳)

京都市内の地図を基盤としたフリーペーパーの運営スタッフとして、様々な店舗と京都の街との接点が生まれる。紙とウェブ、独自開発されたブログを提供し店舗に自ら情報発信してもらう仕組みを提供、慣れない作業による不精と相手の見えないインターネットへの投稿は時期尚早であった(現在は脱退)。

...その少し前になるけれど、京都の某アパレルブランド(デニムが得意w)から依頼を受け、定期的にインテリアデザインの仕事をしていた。京都、東京、大阪だけでなく、香港の物件も携わる。


1995年(24歳)

その春からおよそ10年間、作品の制作活動を行う。当時、作品を買っていただくこともあったし、イギリスのChristie's(アートオークション)への出品も経験(現在は休眠)。

当時の生計は美術予備校専門学校の講師、飲食店のスタッフ、駐車場のオペレーター、日雇い解体業など...


1991年(20歳)

空間構成が比較的得意だったというだけで京都精華大学美術学部にて立体造形を学ぶ(現:京都精華大学芸術学部造形学科立体造形専攻)。


1990年(19歳)

一浪してからなんとなく美術大学に行きたいと思い、美術予備校に入ると真剣に鉛筆でデッサンしている人たちの熱と画力に圧倒される。


1971年(0歳)

京都府宇治市に生まれる。高校卒業するまではのんびりと何の目標も持たないままお気楽に過ごしている。

海外渡航

過去の海外経験をちょっとふりかえる。もう20年以上飛行機に乗っていない♪ 

どっか行きたいー。(誰かww)


(その他、トランジットだと、シンガポール、マレーシアぐらいかな?)